<野見山暁治先輩(中36回)文化勲章受賞記念品授与>のご報告

10月19日(月)平成26年文化勲章受賞を記念し、野見山暁治先輩へ関東地区同窓会より記念品をお渡しいたしました。

記念品贈呈幹事長、事務局、私副幹事長三人が緊張の中、代表し伺いました。先輩は平成12年に文化功労者の顕彰に続く受賞となり、称嘆に値する大先輩のお一人であることは会員皆が知るところです。

訪れたのは、正面ゆるやかにまっすぐ伸びる階段。階段右手に見える仕事場。製作中の絵画や無造作に置かれた道具。絵の具のにおい。テーブルの本。意図されているはずもないのに、大きな空間がどこまでも続く自宅兼アトリエでした。

「文化勲章の内示があった時は大変だったよ」とお元気に満面の笑みでお受け取りいただきながら、お話しの中心はやはり嘉穂。

インタビュー中の幹事長戦後、留学そのものが難しかった1952年の渡仏は、当然画学生にはなかなか渡航許可が下りず困っていたところ故加藤一雄先輩(中13回・第二代関東地区同窓会会長・元日本大学法学部学部長)の応援でトントン拍子に許可が下りたことや、中学時代、後輩の故江頭匡一先輩(中38回・ロイヤル創業者・以下匡ちゃん)は教師からよく殴られていたそうですが、匡ちゃんが泣くのを見かね、美術部だけが使っていた消しゴム代わりのパンで慰めたこと。その縁は永く続き、送ったはがきや手紙全てが大切に保管されていたことを匡ちゃんが亡くなって知ったことなど・・・。

嘉穂とのつながりを感慨深く語られるお姿は、エッセイの代表作「四百字のデッサン」著者ノート「(省略)エッセイの連載や戦没画学生の記を書き上げた三月まで、埋もれた日々を掘り起こすことに追われてばかりいた。そうして、わたしは今日の日までに触れあってきた人々が、いまの私を造りあげていることにきがついた。」という印象的な一文そのものであり、嘉穂は過去の歴史ではなく、現在も生きていることに今更ながら思い至りました。

野見山先輩と一緒に

最近では、9月に付属中学開講に伴う、門扉への揮毫を記念した講演をなされ、しっかり話しを聞く本校の生徒達に圧倒されたとおっしゃっていらっしゃいました。めったにお会いできない大先輩に思いがけず1時間もおつきあいいただいた帰り際、大変力を注いでいらっしゃる無言館のことを尋ねると「是非来なさい。」と言っていただき、長野県上田市の無言館へ思いを馳せながら緊張も解け、最寄りの駅へ向かいました。

(文責 塚本)

※ 引用 「四百字のデッサン」 野見山暁治著  河出文庫